FC2ブログ

記事一覧

最初の出版物

力石研究において私の最初の出版物が「三重の力石(1998年・三重大学出版会)」であった。少し長いですが、序文とともに紹介します。
mie01.jpg
第2版は(2006年・岩田書院)
mie.jpg
「序文」(神戸大学名誉教授・神吉賢一)
 「力石」を用いた力比べは、庶民の遊びであった。政治や経済などに見られる世の中の大きな出来事は、歴史に残され後世に伝えられる。しかし、「力石」のような遊びは記録に残ることは少ない。「力持番付」や「力石人名簿」などは稀に見る文献であろう。 このような庶民の生活と密着した遊びが、江戸、明治、大正と時代を越えて若者たちに愛され継承されてきたのである。しかし、この「力石」も労働の機械化と西洋スポーツの移入などの影響により次第に忘れられ、神社や広場の片隅に放置された存在となっている。このような社会状況のなかで、高島愼助教授が『三重の力石』を上梓されたことは誠に意義のあることである。高島先生は体育史の分野で、「力石」研究の先駆者である故伊東明先生や岸井守一先生の研究を発展され、地域の人々から広範囲に「力石」に関する情報を収集され、多くの研究論文を発表されています。さらに、先生の研究活動で素晴らしいのは、「力石」を調査研究するだけではなく、必ずその地で民俗学や体育史学の立場から、「力石」の意味や保存の重要性を説き、後世に「力石」を民俗学の資料として、またスポーツの文化遺産として伝える努力をされていることである。本書は、三重県下の全市町村に存在する「力石」を調査研究した著者の汗の結晶である。かって若者が血をたぎらせて挑戦したであろう「力石」が再びスポットライトをあびることを期待したい。それが著者の最大の望みであろう。一読されることをお薦めする。高島先生の御努力に敬意を表し、御研究の更なる発展を祈念致します。

「三重の力石」に寄せて(学校法人大川学園学長・大川吉崇)
 「力石」という聞きなれない言葉を高島先生から伺いましたのは、一九九一年頃でした。お話を伺っていますと、それは庶民の願いに「競い」が入り交じった、時には切実な祀り事のようで、私の頭の中で雨乞いの勧進相撲が重なっていったことを思い出します。一方では、私が七年間住んでいた紀伊半島の山中、高野山の奥の院の一角にある、片手で持ち上げる願掛けの石をも連想しました。そして、先生が発表された報告書を度々いただき、力比べは、吉凶占いを兼ねているところもあること、ごく最近まで継承されてきたことなどを知り、次第に「力石」に対する思いが深まってまいりました。今まで日の当たらなかった「力石」に、先生の専門的な視点から、隠れていた庶民の習俗・習慣が、ここに日の目をみましたのは、実に喜ばしいことであります。しかも、久々の三重県発の特殊事例研究ですから、民俗学をかじる者にとりましても嬉しい限りです。「三重の力石」は、デスクワークではなく、地道な努力のもとに、県内各地を調べられ、写真を撮り、古老からお話を伺うという、民俗学の原点であるフィールドから実に克明にまとめられた貴重な資料でもあります。今後発表される他県の事例とも併せ、膨大な資料の分析から、更なる新しい一面が出てくるのではないかと、楽しみにしております。何事も最初に取り組むと言うことは、大変なことで、調査の時点でも発表の時点でも理解が得にくいところであります。この報告書に掲載されただけでも、二五〇個以上の事例を集計されてみえますから、まさに執念のような忍耐のいる仕事といえます。しかし、時代の流れの中での田畑環境の改良、農耕方法の変化、戦後の第二、第三次産業の急速な伸びと、農村からの人々の離脱、そしてなによりも価値観の変化から、そう遠い昔の話ではないはずですのに、今日まで埋もれたものになってしまった「力石」であります。私に限らず、この著書を読まれた方々が、「力石」以外にも自分の身の回りに、忘れてることがらの中に、価値ある継承文化があるのでは・・・と、宝物探しを始めるのではないかと想像しています。先生は、故伊東明教授の研究を受け継がれ、三重県に限らず情報を全国に巡らし、何か判ると、何処にでも飛んでいって集中的に調査されてみえます。これからの調査をもとに研究の集大成をされ、『日本の力石調査報告書』として出されるのではないかと、期待するところであります。「力石」という重たい石を担ぐときの思いと掛け声は、伊勢弁で申しますと「重たそうやなあ、よいしょ、う、うん」であり、仏教的表現をしますと、「阿吽」の中の「吽字義」の世界であると思います。私がそこに感じますのは、農耕民としての日本人の、精神的生活の原型です。「力石」は、豊作の願いと、村一番の力持ちの競いと仕事士の証としての踏ん張りの精神力、そこに集まった老若男女を問わない人々の笑いを意味していますから、「生きる喜びの証」であり、「生命の本質」であります。農耕という激しい労働と日々の我慢の吽の生活を、逆に「吽」と歯をくいしばって担ぎ上げる「力石」で競う行事からは、人間の営みを支える暖かなぬくもりが伝わってきます。機械文明の中で、人間が本来持っている力を忘れかけている私たちに、「力石」は、新しい視点を与えてくれるのではないかと思われます。

『はじめに』先人の生活の中で生まれ、人々のコミニケーションの場に存在していた力石、多くの人々が汗し、親しんできた力石は、労働の機械化や娯楽の増加により必要性を失い、その役割を終えた。三重県津市および四日市市の力石を調査したのが、私が力石に触れる最初であった。それらを整理しつつ、当時日本の力石研究の第一人者であった故伊東明先生(元上智大学名誉教授)に知己を得た。しかし日本体育学会で二度の教示と数回の手紙のやりとりで指導を受けたまま平成五年十月に先生が逝去されたのは、私の力石研究にとって大きな痛手であった。その後、遺族から膨大な資料を寄贈された。それらの資料を紐解くと青森から沖縄までの先生の足跡がギッシリと詰まっていた。この先生の業績を埋没させてしまうにはあまりにも惜しいと思われた。そこで、おこがましくも先生の遺志を継ぐと同時に、少なくとも今のうちに各地の力石の存在だけでも確認しておこうと体育史学の一分野である力石の世界に足を踏み入れた。その後、岸井守一先生(神戸商船大学名誉教授)、神吉賢一先生(神戸大学名誉教授)に教示を受けつつ、新たに各地の力石情報を収集してきた。過去には全国の各集落に存在していたであろう力石であるが、各自治体で把握されていないのには驚くばかりであった。さらに力石の意味や存在を知る人々が少なくなり、各地で力石が続々と紛失しているのが現状である。その反面、力石の存在が確認できた地域において次々と保存処置が行われてきたのは非常に喜ばしいことである。


スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

非公開コメント